吉冨力良のWikiやプロフィール!両親や兄弟は?結婚はしているの?
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吉冨 力良 (ちから) さんという方をご存知だろうか。

料理関係の仕事をされている方ならご存知の方も多いでしょう。
特にフランス料理をされている方なら知らない人はいないのではないでしょうか。

そう、彼はフランス料理のシェフなんです。
それもただのシェフではありません。

2017年12月フランスで行われたパテ・アンクルート世界大会で世界一になったんです。

そして、2019年9月現在ミシュランガイドの3つ星を30年以上獲得し続ける名店「ランブロワジー」で働いていらっしゃいます。

ちなみに、このお店は、木村拓哉さんが、2019年10月に放送のTBS日曜劇場「グランメゾン東京」(日曜後9・00)の撮影をこの「ランブロワジー」で撮影しました。

そこで働く、日本人シェフの吉冨 力良さんについて調べてみました。


吉冨 力良さんのプロフィール

年齢:2019年9月現在で34歳
出身地:熊本県上益城郡甲佐町
父親:土木関係 兼業農家
母親:農協職員 兼業農家
三男として生まれる

中村調理製菓専門学校卒業

兼業農家ということで学校が終わってから農作業を手伝ったりもしていたそうです。
でもその理由がすばらしい。

「家の手伝いをして誰かに喜んでもらえるのが嬉しかったから」だそうです。

いゃ、小学生にしてこの喜んでもらえるのが嬉しかったなんて普通ないですよ。
どちらかというと自分がしてもらって嬉しかったの方が多いんじゃないですか。
そう考えると、なんて思いやりのある子どもだったんだなと感心しますよね。

両親が共稼ぎだったので、子供の頃から料理を作っていたそうです。
その頃から料理人になりたいという思いがあったそうです。

小学校低学年では卵焼き、高学年になると出汁を引いて味噌汁を作ったということです。

小学校から出汁を引いて味噌汁って、主婦の方々でもたいてい出汁から引いて味噌汁なんてしていないと思いますよ。やっぱり料理人になる素地っていうのは小さいころからあるもんなんですね。

そんな吉冨さんですが、中学、高校と成長し進路を考えるようになったときに思ったことが、「将来は人に喜んでもらえて、感動を与えられるような仕事をしたい」でした。

この人に喜んでもらえるというのは、小さいころから一貫して吉冨さんにはあるんです。
その思いが現在の料理にもいかされているんでしょうね。
料理によって喜んでもらえるってことでしょう。


高校を卒業後は福岡の中村調理製菓専門学校に1年間通ったそうです。
大阪や東京の有名な料理専門学校に行きたかったが授業料が高くてあきらめたそうです。

家庭の事情ということです。

でもね。このインタビューでは、「1年間通わせてもらいました」って答えられているんですよ。通っていたではなく、通わせてもらいましってところが吉冨さんの人柄を表していますよね。


いよいよ料理の世界へ、しかし・・・

料理学校を卒業してからが挫折の連続だったんですね。東京のレストランへ就職するも数カ月で退職。

その後、熊本のフランス料理店に2年ほど働き、再び東京へ。

しかし、東京のお店でも厳しさや自分の未熟さを痛感し鬱に近い状態になり8カ月で辞めたそうです。その後、当時東京の二つ星のフランス料理店で働くことになるが、ここも3カ月ほどで辞めることに。

吉冨さんの場合は、東京の店はなじまなかったのかな。
やはりいなか育ちなのでのんびりが良かったんでしょうか。

でも、十数年前は料理業界は鉄拳制裁があったんですね。
いまならパワハラで大変でしょう。
ま、でも今でも表にでないだけでどの業界でも多少はあるんでしょうね。

でもこの料理業界はフランス料理だけに限らずブラックであることは間違いないでしょう。
労働時間だった長いですからね。極端に言えば下っ端は寝る時間もないくらいです。
だから、けっこう一人前になるまでに挫折して違う仕事に変わる人も少なくないです。

そんな世界で一人前の料理人になるだけでも大変なのに、超一流の料理人になるなんてことは、ほんの一握りの人だけです。狭き門なんですよ。

何事も超一流は難しいですね。

ただ、さすがに吉冨さんも料理の世界の厳しさはわかっていたつもりだったそうですが実際の現場はそれを上回る過酷なものだというのがわかったそうです。

だから、自分には料理人は向いていないので違う道に進もうと考えたそうです。

そして、そのまま辞めた・・・・・

いえ、ここからが普通の挫折して違う職業に移る人と違うところでした。

吉冨さんは、フランス料理を学んできたのに、フランスに行ったことすらないじゃないかと思ったそうです。

そして、最後にフランスを観てから料理人を辞めようと決めたそうです。

ね、普通こんなこと思いますか。
もう辞めようと考えている人ですよ。
できたら早く次の仕事や仕事先を考えようと思いますよね。

でもやっぱり料理人への思いが大きかったのでしょう。
そりゃぁそうですよね。就職前にぱっと思いついて選んだ職業ではなく小さいころから好きだったんですから。

あきらめるにも、自分自身納得したかったんでしょう。


フランスへ、しかし甘くはなかった

フランス、初めてみたパリの街の美しさに感動した吉冨さんは、この国でもう一度頑張ってみようかなという思いが溢れだしたそうです。

次にとった行動が、当時ミシュランの星を持っていた日本人シェフの店に飛び込み訪問し働かせてもらいたいと伝えたそうです。

しかし、ビザも技術もない。フランス語もしゃべれない。反応は冷たいものだったそうです。

これは、致し方ないですね。
行動力は認めますが、物には順序ってものがありますよね。
労働ビザがないのに働けませんよね。(笑)

でもこれが彼のいいところなんですよ。

一度日本に戻り貯金をしてから、ワーキングホリデーのビザを取って再度フランスへ旅立ちました。
2008年10月で23歳でした。

フランスでは、日本人シェフが経営するビストロで働き、その後フランス人がオーナーシェフのビストロへ、しかし、そのフランスのオーナーが給料も満足に払ってくれなく人間不信になったそうです。その後も労働ビザを取らせてくれるお店を探しながら転々と店を変え働いていました。

労働ビザを取得するのに何カ月もかかったそうです。

これでやっとフランスの料理店の世界で本格的に働き始めました。

しかし、人種差別的な態度をとられたり、料理の仕事以外での嫌がらせなどをされる店なども多くその後、数店舗で働きました。

この人種差別ってのはどこにでもありますね。ま、それは料理の世界だけに限らず足を引っ張る人は必ずいますよ。

でもそれも仕事ぶりなどをみていればいずれ無くなりますよ。

そして、ミシュランガイドの3つ星を30年以上獲得し続ける名店「ランブロワジー(L’AMBROISIE)」で働くことになります。


パテ・アンクルート世界大会

その前にパテ・アンクルートってどんな食べ物なんでしょう。


優勝した吉冨さんの料理

お肉のテリーヌを生地(パートブリゼ)で包んだフランスの古典的な料理なようです。

肉などの具材をパイ生地で包んだパテ・アンクルートは、フランス在住40年以上のフードジャーナリスト、増井千尋氏の言葉を借りれば、「日本のおにぎりのような存在」。だそうです。

さて、そのパテ・アンクルート世界大会への最初の挑戦は2016年12月。
「ランブロワジー」で働き始めて2年が経っていました。年齢は31歳です。

そして結果は、準優勝でした。
普通準優勝ってすごいですよね。

でも働いている店が違います。

マダムから「なんで2位なのー、『ランブロワジー』はなんでも1番じゃなきゃダメなのよ。」と言われたそうです。

ね、2位じゃだめなんです。

そして、2017年12月32歳のときに見事世界一に輝きました。
このときは100名が参加したようです。

この結果もすごいんですが、後日審査員の1人から聞いた話で、10数名いる審査員が満場一致で同じ人物を優勝者として選んだのは、吉冨さんが初めてだったそうです。

すごい以外の言葉がみつかりません。

結婚しているのかな

結婚しているかどうかの情報は入っていません。

が、フランスに行ってからは、労働ビザを取得するまでに悪戦苦闘していましたので自分が食べるのに必死でそれどころではなかったでしょうね。

ランブロワジーに入っても世界大会参加に向けて休みの日や仕事が終わってから大会に向けての練習の毎日だったようですから彼女を作っている暇はなかったのではと考えられます。

2017年12月に世界一になってからは、少し余裕もでてきたかもしれませんし、なんといっても最高級レストランで働いている世界一のシェフとなるともてないわけがないですから今はひょっとすると、彼女はいるかもしれませんね。

こんなこと書いているのにずっと以前に結婚していたなんてことが後でわかったらすみません。(笑)

でもフランス料理のひとつの世界大会で日本人が世界一になるなんて同じ日本人としても誇らしいですね。
今後もますます活躍されること間違いなしです。

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